● ドキュメンタリーを御理解いただく上で重要な「用語」を解説します:

チベット仏教

七世紀初頭に仏教がインドからチベットに伝来してから、その仏教は土着宗教であるボン教と徐々に結びつき、ここにチベット独自の仏教、チベット仏教が生まれた。この仏教はしばしば「金剛乗仏教」と呼ばれ、小乗・大乗仏教と共に三大仏教の一つに数えられている。チベット人の生活・アイデンティティーは主としてこの仏教に基づいている。かつては、チベットの村村の至る所に僧院が見られ、大きな寺院は"門前町"を形成していた。 

通常、チベット人達の家々には仏像が置かれ、人々は仏教に深く帰依していたのだ。つまり、チベット人達はその仏教に深く根づいた独自の社会の中で1200年以上暮らし続けていた。加えて、1950年代以前、チベット民衆は、政治・精神的リーダーである歴代ダライ・ラマ達を観音菩薩の化身として崇敬し350年以上に渡って調和的社会を共に築き上げていた。しかし、中国共産党政府がチベットの本格的侵略・統治を開始した1959年以来、仏教的価値観は完全に否定されチベットの仏教社会は破壊され続けている。 

チベット難民

中国共産党政府は1959年からチベットを統治し続けている。 彼らの言い分はこうだ。「チベットは古来より中国の一部である」。しかしながら法律家国際委員会の法調査部に拠れば、中国の主張はなんら歴史的な証拠に基づいていない。 反対に、様々な歴史的資料は、チベットは中国の一部などでは無くれっきとした自治国家であったことを証明している。1959年から1965年にかけて「チベット問題」は国連総会の場で何度も議論され三つの決議が採択された。決議書は中国政府によるチベット人の人権侵害を厳しく非難し、チベット人の民族自決権を含む諸権利を尊重するよう要請した。しかし、中国政府はその決議を無視し続けている。しかも、「チベット問題」解決のためにダライ=ラマ十四世が幾度も具体的な提案を掲げ対話を呼びかけているにも拘わらず、共産党政府は飽く迄も拒絶の構えだ。 

アムネスティーインターナショナル,レフュジィーインターナショナルなどの国際的なNGO(非政府組織)によれば、チベット総人口の五分の一に当たる120万人が中国政府の圧政のためにこれまでに亡くなっている。又、未だに多くのチベット人達が「政治犯」として牢獄や強制収容所で惨めな生活を強いられている。6000以上もの寺院、僧院、歴史的建築物が過去数十年の間に破壊された。文化大革命時の破壊の規模は特に凄まじかった。ダライ=ラマ十四世がチベットの首都であるラサを離れインドへと亡命した1959年以来、計10万人ものチベット人達がヒマラヤ山脈を徒歩などで越え、インド或はネパールの難民居住地へと避難している。同伴者のいない幼い子供達を含む多くの難民が逃避行中に様々な苦境に直面している。ヒマラヤ山脈での凍傷に加え、中国或はネパールの国境警備隊によるレイプ、強制逮捕、虐待などの被害に遭うこともしばしばである。 アメリカ難民委員会が発行した1996年度版の「世界難民調査」によれば、このような困難の下、1995年中2076人のチベット難民がネパールの首都・カトマンズにたどり着いている。

1996年度版「世界難民調査」によれば、約13万人のチベット難民がインドとネパールで生活している。その至る所で、多くの難民達は「商業主義」に戸惑いながらも経済的貧窮状態からの脱出に懸命だ。一方、難民達は異国の地で僧院・尼僧院を建立しながらチベット仏教に基づいた伝統的かつ文化的な独自性(アイデンティティー)を献身的に維持しようとしている。しかし、「成功物語」が存在する反面、大半の僧院は殆ど"生き延びる"ことが出来ないでいる。それは、チベットでは当然のように行われていた地域社会からの安定した援助を受けられないからだ。即ち、外国での難民生活は常に貧窮が伴い、自分達の生活を維持していくだけで手一杯なのだ。非政府組織のレフュジィーインターナショナルに拠ると、インドにおけるチベット難民の平均年収は約400USドル(約4万7千円)(1990年)

。その状況は、ネパールでも同様である。

難民第三世代

難民としての厳しい状況下、ダライ=ラマ十四世を含む多くの第一・二世代の難民たちは一貫してチベットを「母なる大地」・「祖国」として崇敬している。そして、仏教の教えに基づきながら、チベットへ戻るために継続的に非暴力運動を展開している。一方、「チベット問題」が停滞する中、難民、特にインドやネパールなどの"他国"で生まれ育った第三世代の若者たちの多くは、チベット人のアイデンティティーを保持しようとする老世代の関心事を殆ど共有できないでいる。しかも、難民として彼らは未来に対しての明確な見通しを持つことが出来ない。その結果、多くの者が長期にわたる非暴力闘争に失望し、第一・二世代の行い祖国チベットそして仏教に基づく伝統文化への感情的且つ宗教的結びつきの助長に共感し自らそれに努めるよりは寧ろ中国政府への憎悪に関連する愛国感情を単純に表明しがちだ。同時に、商業主義文化、特に、アメリカ合衆国に由来する大衆文化に第三世代は魅了されている。即ち、日常生活の中で彼らはチベット人としての文化的独自性(アイデンティティー)を失いつつ、その大衆文化に染まる(同化)傾向にある。こうして、異国の地でチベット仏教文化は徐々にアメリカ大衆(商業主義)文化にとって代られようとしている。 

『チベタンナショナリズム』(1992年)の著者・クリスチャン=キリンガーは若者達の文化変容の典型をこう表現している。「....20代半ば、大規模な難民居住地で育つ.......彼は英語の流暢さが求められる中等教育を終了し...通俗的西洋音楽を好み、"ランボー"や"チャック=ノリス"の映画ファンだ」インドに住むある若いチベット難民は最近こう語った。「我々は我々の未来がどこにあるのか全く見当がつかい!」彼の鬱積し苛立った言葉はチベット人のアイデンティティーに関わる主要な難問を示し、且つ、私のドキュメンタリーの主題を明確に表現している:第三世代はどのように彼らのアイデンティティーを保持するつもりなのか。伝統文化、難民共同体、異国文化そして世界市場の狭間で、彼らは如何に奮闘しているのだろうか。